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中村俊輔の魅力|圧倒的なテクニック・魔法の左足・指導者として期待

サッカー

日本代表で長らく10番を背負い続けた天才レフティーである中村俊輔。

中村俊輔は40歳を迎えているが、まだ現役を続けている。



 

日本代表で共に戦った戦友たちが引退していくなかで、彼が現役を続ける理由、そして未だ衰えないテクニックの秘密を自分なりにまとめてみた。

 

生いたち

簡単に生い立ちを振り返る。

神奈川県で生まれた中村俊輔(なかむら しゅんすけ)は、3歳でボールを蹴り始めたが、その才能はずば抜けていた。

身体は小さかったが抜群のテクニックで名を轟かせた。

中学生になると入学と同時に横浜F・マリノスのジュニアユースのセレクションに合格し、入団する。

中村俊輔は圧倒的なテクニックを持っていたが、周りの選手の身体が大きくなるなかで、小柄な彼のテクニックが通用しなくなっていった。

中村俊輔はそのことに気付かず目立つプレー、自己中心的なプレーを続けた。

その結果ユースへ昇格する事ができなかった。

高校は神奈川県の桐光学園に進学する。

高校の3年間で身長が20センチ以上伸びたためプレーの幅が広がり、3年生の時にはチームを全国準優勝に導く。

体の小ささを技術でカバーする選手はいるが、それでも学生時代の体格差は技術だけではカバーしきれないものがあるのかもしれない。

 

プロ入り後

ユースに昇格出来なかった横浜F・マリノスへと入団し、背番号25を付け最優秀新人賞を受賞。

2年後には、中村の代名詞である背番号10番を背負う。

2000年シーズンには、JリーグMVPに輝く。

 

海外挑戦

W杯メンバーの落選をきっかけに海外挑戦を決意し、イタリアのレッジーナへ移籍する。

レッジーナでは背番号10番を背負い、レギュラーとして活躍する。

レッジーナでの活躍が評価され、スコットランドのセルティックからオファーが届きセルティックへ移籍。

レッジーナでの背番号は横浜F・マリノス入団時と同じ25番を付け、入団するとすぐにレギュラーとなり、タイトル獲得に貢献、日本人初のMVPやハットトリックを達成した。

チャンピオンズリーグでのマンチェスターユナイテッド戦での2戦連続の直接フリーキックはセルティックファンの間で伝説として語り継がれている。

セルティックで伝説となった中村俊輔は兼ねてからの夢であったスペインリーグ、エスパニョールへ移籍するが、思うような活躍が出来なかった。

その後古巣の横浜F・マリノスへ復帰。

ベテランとして古巣に復帰した中村俊輔は、自らの経験をチームに還元。

その後日本代表で共に戦った名波浩オファーによりジュビロ磐田に移籍。



 

 

日本代表

日韓W杯をメンバー入り確実と言われるなか落選した中村俊輔は、悔しさをバネに4年後エースとしてドイツW杯に臨むものの大会中に発熱してしまう。

1ゴールこそ決めるものの、本来のパフォーマンスを発揮する事が出来なかった。

日本代表を引っ張り、望んだ南アフリカW杯では大会直前の戦術の変更によりレギュラーを失う。チームが躍進するなか悔しさを押し殺し裏方に徹する。

日本代表を長く支えた中村俊輔だが、W杯では随分悔しい思いをしている。

 

プレースタイル

中村俊輔の圧倒的なテクニックを繰り出すのは左足だ。

左足は魔法の杖だ。一度ボールに触れるとボールは魔法にかかる。

セットプレイでは時を止めるようなボールを蹴る。

屈強な海外選手がボールを取りに来てもボールを跨ぎ、一瞬の閃きでボールを股の間に通してみせる。

日本のサポーターやセルティックのサポーターは、中村俊輔のそんなプレーに魅せられ続けプレーを追っているのだと思う。

 

中村俊輔の理想の生き様?

ところで、中村俊輔のプロフィールに好きな映画は「RUDY」とある。

この「RUDY」という映画は、ルディという主人公が夢である名門大学のフットボールチーム「ファイティング・アイリッシュ」に入るまでの努力と、チームに仲間として認められるまでの話が描かれている。

ルディの夢は「ファイティング・アイリッシュ」に入ることだったが、選手としては小柄だったことと、成績もよくなく経済的な事情もあって最初は大学進学を諦めて、地元の工場で働き始める。

だが夢を諦めきれなかったルディは、様々な困難を乗り越えて「ファイティング・アイリッシュ」に入団し、チームに献身的に尽くし仲間に認められていくのだ。

最後はルディの活躍によりチームは勝利する。

中村俊輔も学生時代は小柄でプレーが通用しない時期があった。

そのためユースへ昇格できなかったという経験がある。

また今でも現役を続ける彼にとって、諦めず困難に立ち向かい夢を叶えるというルディの姿は、彼の理想の生き様なのではないかと思う。

 

中村俊輔は現役を続けている。

共に戦った中澤ら、多くの選手が引退していくなかで身体が動かなくなってからもがくことでこそ得られるものがあると言う。

その経験はきっと指導者になって生きるのではないだろうか。

選手としてレジェンドになった中村俊輔が、唯一活躍ができなかったW杯。

W杯の監督として出場し、魔法をかける姿を見てみたいと思う。

(si)



 

 

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