正確なパスでゲームを操る中村憲剛。川崎フロンターレをJリーグ制覇に導いた。
恵まれた体格ではなかった中村憲剛が、日本代表でも活躍出来た理由とは。
中村憲剛選手の魅力をまとめた。
生いたち
中村憲剛(なかむら けんご)は、小学1年生でサッカーを始める。
身体こそ小さかったが、抜群の運動能力の高さでボールを持つと離さないドリブラーだった。
身長の高い相手にもヘディングで競り負ける事はなかった。
小学5年生の時には、全国少年サッカー大会でベスト16進出を果たす。
だが、中学ではサッカー部のレベルが低く、サッカーへの熱が冷めてしまっていた。
高校進学を機にもう一度サッカーと真剣に向き合いたいと考え、久留米高校へ進学。
中学時代にまともに練習していなかったので、高校の練習について行くのは大変だった。
それでも、何のために久留米高校に来たのかと自分に言い聞かせ、必死で練習についていった。
体力などのフィジカル面で敵わないことを悟った中村憲剛は、自分の武器を再確認する。
それは技術だった。大きな相手に当たられる前にボールをコントロールし、パスを出す。
正確なプレーをすれば、身体の大きなディフェンダー相手でもプレーすることができた。
高校最後の大会では、強豪の帝京高校に負けてしまうが、そこまでの力の差を感じなかった。
大学はサッカーの名門の中央大学へ推薦枠で入学している。
2年時にはレギュラーを獲得。チームの躍進を支えた。
4年時にはチームを大学リーグ1部に導く活躍を見せた。
プロ入り後
テスト生として練習に参加していた川崎フロンターレへ入団。
すぐにレギュラーに定着し主力として活躍する。
J2を圧倒的な強さで制し、チームをJ1昇格に導く。
17年シーズンには川崎フロンターレをJ1優勝に導き、クラブ初のタイトルをもたらした。
日本代表
日本代表にはオシムジャパン時代の2006年に初めて召集され、それから長い間日本代表を支えた。
南アフリカW杯前に顎の骨を折る怪我に見舞われるが、驚異的な回復により復帰しメンバー入りを果たした。
人間性
中村憲剛は義理堅い男である。
大学から川崎フロンターレに入団し、一筋でプレーしてきた。
引退も川崎フロンターレでしか考えられないという。
日本代表としての活躍で海外からのオファーを受けた時も、練習生から拾ってもらった川崎フロンターレに何も恩返ししないままチームを去ることはできないと残留した。
フロンターレは家族だと本人も言っている。
川崎フロンターレは、準優勝や2位になる事は多くあったが、タイトルを獲得できないでいた。
川崎フロンターレの初のタイトル獲得となったJ1制覇の瞬間、いつも冷静な中村憲剛が立っていられなくなり、人目をはばからず涙を流した。
どれだけのプレッシャーの中でのプレーだったのか。
タイトルを獲得できないまま引退しなくてはいけないのかもしれないという不安を押しのけての優勝だった。
とにかく家族!
とにかく家族が一番という点でも、中村憲剛の人間性を感じることができると思う。
プロフィールでは、好きな女性のタイプを妻と公言、この世で一番好きな物にサッカー、妻、子供と書いている。
サッカーは分かるが、妻、子供と書くあたり、本当に家族が大切なのだろうと感じる。
ストレス解消やホッとする瞬間も家族と過ごすときだそうで、中村憲剛にとって家族の存在は絶対なのだと思う。
実は亭主関白だと言っているが、好きな女性を妻だと言える時点で、家庭の中で威張っているところは想像できない。
きっとよき夫、よきパパで、温かい家庭を作っているのだと思う。
止めて、蹴る
サッカーの基本はボールを止める事、そして蹴る事である。
この基本を忠実に身につけ、正確なパスを出す。
中村憲剛の武器はミスが少ないことだ。
足でボールを扱うサッカーは、ミスを前提にしたスポーツである。
その中でミスの少なさが中村憲剛の最大の武器である。
身体の大きくない中村憲剛が世界相手に通用していたのは、間違いなく基本技術の高さによるものだ。
(si)