サッカー選手だけでなく、経営者としての顔や実質的なカンボジア代表の監督としての顔もある本田圭佑。
W杯では3大会連続でゴールとアシストを記録した。
本田圭佑は、世界で有名な日本人の1人だろう。
そんな本田圭佑に今後期待していることをまとめた。
生いたち
簡単い生い立ちを振り返る。
本田圭佑(ほんだ けいすけ)は、大阪市に生まれ、小学2年生の時にサッカーを始める。
中学入学と同時にガンバ大阪のジュニアユースへ入団。
当時のチームメイトには家長昭博がいた。
家長昭博は当時から天才と言われ、ガンバ大阪の最高傑作と呼ばれていた。
中学時代の本田圭佑はスピードやスタミナに不安を抱え、ユースへの昇格を果たすことはできなかった。
ユースへの昇格出来なかった本田圭佑は、石川県の星稜高校へ進学する。
1年生でレギュラーを獲得。上級生にもタメ口で、物怖じせずチームを引っ張る。
3年生の選手権では、日本代表でチームメイトとなる岡崎慎司擁する滝川第二を、自らの2ゴールで破りチームをベスト4まで導いた。
プロ入り後
複数クラブからのオファーを受けた本田圭佑は、海外挑戦を視野に入れ、「オファーがあれば移籍を認める」という条件を認めた名古屋グランパスエイトへと入団を決める。
開幕戦からスタメン出場を果たしアシストを記録。
8試合目にはゴールも決めている。2年目にはレギュラーに定着。
海外挑戦
3年後、入団時の言葉通り海外からのオファーを受けた本田圭佑は、オランダのVVVフェンロヘ移籍。
レギュラーとして活躍するもチームは2部へ降格してしまう。
移籍も意識した本田圭佑だったが、チームに残留する事を決意し、背番号10番を背負い、圧倒的な強さでの2部優勝、1部昇格へ導く。
オランダでの活躍によりロシアのCSKAモスクワへの移籍を獲得。
チャンピオンズリーグでは、代名詞である無回転シュートで直接フリーキックを決める。
CSKAモスクワとの契約満了により、イタリアセリエAのACミランへ移籍。背番号10番を要求する。
イタリアでハットトリックを達成するなど活躍するも、徐々に出場機会を牛ない、FIFAクラブW杯へ出場が決まっていたメキシコのパチューカへ移籍。
レギュラーを獲得してクラブW杯へと参加。
昨年(2018年)からは、実質的なカンボジア代表監督兼GM、選手としては
メルボルン・ビクトリーFCに所属している。
有言実行
本田圭佑の言葉は人を惹きつける。
若いころの本田圭佑は、批判の的にされる方が多かった。
しかし、その度に結果を残し周りを納得させていった。
本田圭佑は、小学校の卒業文集で将来の夢について、セリエAで背番号10番を背負うと書いている。
小学生でここまで具体的な夢を掲げ実際に叶えている。
先に言葉にしてしまう事で自らを追い込み、達成する。
今では本田圭佑の発言に注目が集まる。
実行してくれるという期待を持ってしまうからだ。
今後の期待
本田圭佑が広げた大風呂敷の中で叶えていないものがある。
それは何度も何度も口にしてきたW杯優勝である。
日本代表の引退を表明した本田圭佑。
選手としてではなく、監督として日の丸を背負い、誰もが無理だと言ったW杯優勝を果たせるのは本田圭佑しかいないのではないだろうか。
あくまでも個人的意見だが、カンボジアの代表の監督になったのも、その布石ではないかと思う。
さまざまな経験は、日本をW杯優勝に導くためのものではないだろうか。
本田圭佑のW杯優勝という言葉にいつまでも期待してしまう。
またW杯の代表は引退を明言したものの、2020年東京オリンピックにオーバーエイジとしての出場を目指すと言っている。(AbemaTVにて)
本田圭佑の今後の活躍にまだまだ目が離せない。
(si)