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野球×統計学でみる!ビリー・ビーンと貧乏球団の勝利の方程式

統計

メジャーリーグは、お金の額が日本と比較にならないほど大きいことで有名です。

まさにアメリカンドリーム。



 

例えば田中将大選手は、ニューヨーク・ヤンキースに移籍して、年俸は4億円から2200万ドル(1ドル100円換算で22億円)になりました。

お金が魅力のひとつであることは言わなくとも歴然ですね。

多額の年俸で世界中の優秀な選手を集め、豪快なプレーで観客を魅せる。

メジャーの野球はスター選手であふれています。

でもそんな富豪のスターチームを押しのけて、勝ち上がった貧乏球団がありました。

オークランド・アスレチックスはビリー・ビーンをゼネラル・マネージャー(GM)に据え、プレーオフに毎年のように進出。

2002年の年俸総額は1位のニューヨーク・ヤンキースの約3分の1ながら、全球団中最大勝率を記録しました。

ちなみにアスレチックスは2011年に松井秀喜選手も所属したとして日本人にはなじみ深いですね。

これまでの常識を覆したビーンの野球学について解説します。

 

ビリー・ビーンとは

まずビーンについてです。

ビーンは高校時代から実力のあった選手で、1984年にドラフト1巡目でニューヨーク・メッツに入団。将来を熱望された選手でした。

ですが、その野球人生は思い描いた通りにはいかず、自身の短気な性格も災いして、5年間で引退。通算成績は148試合に出場し、打率.219で終わりました。

ここまでが選手時代の話。

ビーンがすごかったのは冒頭の通り、引退後の1990年に球団スタッフになってからです。キャリア最後の球団、アスレチックスのスカウトとなり、1997年にGMに抜擢。

当時、資金的に厳しかったアスレチックスにセイバーメトリクスと呼ばれる統計学を用い、みごと強豪に様変わりさせました。

しかし、性格は選手時代の短期なままです。

試合に負けているときはロッカールームで暴れたり、物に当たったりとひどい有様。



 

そのため、マネージメントする立場でありながら、試合を観戦することはほとんどなかったそうです。それだけ勝利への執着心が強かったのでしょうか。

限られた資金で勝てるチームを作ることに人一倍一生懸命だったのでしょう。

 

セイバーメトリクス

そんなビーンが用いたセイバーメトリクスですが、あまり聞きなじみのない言葉ですよね。

簡単に言えば、野球を統計的データで分析し、確率論でプレーすることです。ビーンは野球を「27個のアウトを取られるまでは終わらない競技」と定めました。

そう言われるとそうなのですが、なかなか思いつかない考えですよね。

例えばこのセイバーメトリクスで重要とされたのが、出塁率です。

これはヒットを打つことだけに限りません。

四球を見極めることができる選手を重要としました。打率が高い選手は総じて人気なため、多少打率が低くでも、アウトにならない選手を獲得しようとしました。

投手では逆にコントロール良く、四球を与えない選手が重要になりました。

ほかにも盗塁はアウトになるリスクがあるため消極的。球速は絶対的に必要な能力ではないと重要視されません。

スター軍団ではないため、決して派手さはありませんが、「どうすれば勝率が上がるか」を第一に考えたチームづくり、選手起用を徹底しました。

 

ビーンが野球に与えた影響

その手法は『マネーボール』と題して映画化されたことで日本でも有名になりました。

もちろんこれまでの経験や感覚による野球観を全面否定したビーンのやり方は多くの批判も生みました。

どこか機械的で、躊躇ない指示は選手を人ではなく、駒のように扱っているようにも見えます。

それでも今ではこの手法も一般化し、統計学は当然のようにチームづくりに生かされています。

ビーンが持ち込んだ新たな価値観が野球に与えた影響は計り知れません。そういった視点でスポーツを見るのもまた面白いかもしれませんね。

(oa)



 

 

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